川崎ブレイブサンダース
KAWASAKI BRAVE THUNDERS

OVER TIME

変わりゆくもの、変わらないもの。

開幕から駆け抜けた栄光の日々、
幾度もチャンピオンシップの舞台に立ち続けた誇り。
東芝からDeNAへ、バトンは渡り、
クラブはさまざまな面で変化を続けた。
やがてチームを支えた顔ぶれが去り、苦難の季節も訪れた。
それでも川崎ブレイブサンダースは歩みを止めなかった。
すべての勝利と敗北、挑戦と変革が積み重なって、
川崎ブレイブサンダースの10年はできている。

  • 「プロバスケって何ですか?」

    <いったい何から始めればいいんだ……>

    2016年4月、荒木雅己は頭を抱えていた。

    実業団チームとプロチームが混在していたNBLと、プロチームのみで構成されたbjリーグ。「2つのリーグを統一して完全プロリーグを作る」という構想が発表された当初、前身の「東芝ブレイブサンダース神奈川」を運営する東芝は難色を示していたが、最終的にプロ化に舵を切った。

    「社員の士気高揚」を唯一無二のアイデンティティとし、高潔なアマチュアリズムを貫いてきた東芝の社員たちに、「スポーツで金を稼ぐ」という考えはない。

    同社野球部でプレーし、バスケ部の責任者を務め、新たに誕生したプロバスケットボールクラブ「川崎ブレイブサンダース」の社長に就任した荒木はもちろん、東芝から連れてきた数名の部下たちも、プロクラブの作り方など皆目検討もつかなかった。

    荒木はすでに一定の成果を挙げているクラブの経営者のもとを訪れ、教えを乞うことから始めた。

    ある経営者に「プロバスケって何ですか?」と尋ねたら、彼はこう言った。

    「まずは体育館を非日常にすることですよ」

    「……どういうことですか?」

    「体育館の窓を暗幕か何かで全部ふさぐんです。外の風景が見えてしまったら日常に戻ってしまいますから」

    予想もしない答えに驚いた荒木は、<これは相当考え方を変えないとまずいぞ>と気を引き締めた。

    ある経営者にはファンクラブのことを聞いた。彼が見せてくれたファンクラブの会員費を見て、荒木は「こんなにいただいているんですか!」と目を丸くした。

    東芝時代の後援会は年会費が3000円で、野球・ラグビー・バスケが何試合でも無料入場出来る上に応援グッズもついていた。

    「ファンクラブで利益を出していいんですか?」

    荒木がそう問うと、相手は<この人は何を言っているんだ>といわんばかりの顔をした後に、「もちろんですよ」と言った。

    「東芝さんの後援会は、社員への福利厚生ですよね。でもファンクラブはプロクラブにとって重要な収益源ですし、お金をいただくからには料金に見合うだけのサービスを提供しなければいけないんです」

    スポンサー料の適正価格がわからない。

    平均入場者約1000人のうち半分が無料客という状態から、有料客だけでアリーナを満員にする方法がわからない。

    セキュリティの問題でSNSのアカウントが作れない。

    外部からの人材を潤沢に入れられない。

    ないない尽くしの中、荒木たちフロントスタッフは持ちうる知恵と体力を振り絞り、道なき道を切り開くしかなかった。

    ”前年度チャンピオン”の現在地

    大苦戦のフロントとは対照的に、選手たちは新リーグの開幕をおおらかに待っていた。「バスケをプレーする」という生活の主軸は変わらないどころか、社員時代の日常だった午前中の会社勤務がなくなったからだ。

    扱いがプロに切り替わった初日の朝、練習場には思う存分シューティングに打ち込もうとする選手たちが集結し、ゴールが足りなかった。

    「国内最強助っ人」と恐れられたニック・ファジーカスを筆頭に、NBL最後の王者に輝いたメンバーがそのまま残り、成績にも自信があった。「初年度の注目チーム」としてテレビや新聞、雑誌の取材が相次ぎ、練習を終えた選手たちは、マネージャーが買い揃えた各種スタイリング剤で髪型を整えてからこれに応じた。

    加入6シーズン目を迎えた篠山竜青も、一学年下の辻直人との「2大看板」でたくさんの取材を受けていた。小さい頃から大の目立ちたがり屋。プロになり、めいっぱい自分たちをアピール出来ることが嬉しくて仕方がなかった。

    開幕を約2か月後に控えた夏のある日、篠山は辻と2人であるイベントに出演することになった。

    会場はJR川崎駅直結のショッピングモール「ラゾーナ川崎プラザ」の広場。日時を問わず大勢の人でにぎわっている場所だ。

    <「Bリーグ」の名前が少しずつメディアに出るようになってきたし、俺たちは『NBL最後の王者』の顔。見に来てくれる人もけっこういるっしょ>

    意気揚々とステージに上がった篠山は、愕然とした。

    広場にはたくさん人がいる。しかし、自分たちの前には数えられるほどの人しかいない。

    自慢のトークで場を盛り上げようとしてみても、観覧者はまったく増えない。ステージ近くにいる人たちは次の出番を控えるキッズダンスチームの保護者たちで、ステージ裏の我が子のことしか見ていない。

    「川崎市のみなさんに愛されるチームになっていけるよう、コートの中でも外でも積極的に活動していきたいと思います。応援よろしくお願いします!」

    篠山はこのような言葉で地獄のような15分間を締めくくり、虚空に手を振りながらステージを降りた。

    開幕が近づくと、とどろきアリーナ最寄り駅の武蔵小杉駅前で、ヘッドコーチの北卓也、コーチ陣、選手が総出でチラシ配りを行った。

    帰路を急ぐモノトーンの雑踏の中、長身かつガタイのいい集団は否が応でも目立つ。特に、ファジーカスの207cm114kgの巨体を認めた人は、もれなく目を丸くする。ただ、好意的な目を向けてくれる人も、チラシを受け取ってくれる人も、ほとんどいなかった。

    <俺たちって、まだまだなんだな……>

    選手たちは、自分たちの現在地を正確に理解した。

    とどろきアリーナの変化

    9月30日。チームは記念すべきプロ初年度のホーム開幕戦を迎えた。

    前の週に開催された第1節、アウェー三遠ネオフェニックス戦はまさかの2連敗。気を引き締め直して迎えた横浜ビー・コルセアーズ戦で、チームはしっかり連勝を飾った。フロントは必死に集客を行い、前日の夜時から会場設営を行い、1000人入れば御の字だったアリーナに連日3000人を超える観客を迎え入れた。

    ビラ配りは開幕後も定期的に行われ、選手たちもすっかりこれに慣れてきた。目の下に隈を作りながら奮闘しているフロントスタッフを助けたいと思ったし、何より大勢の観客の前で戦う喜びを作り出すためなら、ビラ配りくらい何ともなかった。

    「お疲れさまですー。川崎ブレイブサンダースです」

    「今週の土日、とどろきアリーナで試合があります。ぜひ見に来てください!」

    通行人たちに駆け寄り、ぐいと前に入り、明るい声をかけながらチラシを差し出した。

    荒木はホームゲームのたびに開場待機列に並ぶファンのもとに足を運び、自分たちでは気づきにくいニーズや課題を聞き取った。フロントスタッフは週に一度、2時間の全体ミーティングを行ってそれぞれの知見を共有し合い、選手たちにチケット売上の状況や周辺地域の認知度を伝えた。全員が必死に出来ることを積み重ねた。

    チームは前評判どおりに勝ち星を伸ばし、観客も少しずつ増えていった。パイプ椅子が数列並ぶだけだったコートサイドにはひな壇席が作られるようになり、ビラ配りで「応援しています」「頑張ってください」と声をかけてくれる人も出てきた。

    49勝11敗、リーグ唯一の勝率8割超えを達成して中地区優勝を果たし、チャンピオンシップ初戦ではサンロッカーズ渋谷を撃破。チャンピオンシップセミファイナルのアルバルク東京戦を制し、ファイナル進出を決めると、アリーナはかつてないほどの大歓声で揺れた。

    <とどろきにひな壇ができるなんて、加入した時は想像もしなかった。プロになって本当に変わったんだ>

    篠山は自らを取り巻く環境の変化を幸せに感じていたが、まだ満たされはしなかった。

    ファイナルの舞台となる代々木第一体育館は1万人収容の巨大なアリーナ。試合はNHKで生中継される。ここで勝って、B.LEAGUE初代王者になって、初めてプロクラブとしての新しい歴史が始まるのだと思った。

    <まずは優勝しよう。優勝して、知名度を上げて、みんなでアイディアを出し合いながら応援してくれる人をもっと増やそう>

    フロントの誤算と一本のパスミス

    セミファイナルに勝利した後、荒木はスタッフにファイナルのチケット購入を進めるよう指示した。しばらくすると、スタッフが血相を変えて荒木のもとに来た。

    「言われていたエリアの席、ほとんど売り切れてます!」

    スタッフの報告に、荒木は耳を疑った。

    「そんなわけないだろう。栃木だって三河相手に第3戦までもつれてたんだから」

    「……もしかしたら、セミファイナルの結果がわかる前から買ってたんじゃないですか?」

    <そうか、そういうやり方もできたのか……>

    新米プロクラブは、試合一週間の時点で相手に一歩先を取られていた。

    ファイナル当日、会場の代々木第一体育館で荒木はさらに打ちのめされた。

    1万人を超える観客席の大半が、栃木のチームカラーの黄色で埋め尽くされていた。栃木はファイナル仕様のTシャツを安価で販売し、中立の観客を自チームの応援に引き入れようとしていたのだ。

    選手やチームスタッフも、中立開催とは思えない様相の観客席を見て、驚いた。ただ、彼らはやるべきことに集中していた。赤をまとったファンの姿も、その声援も、確かに受け止めていた。そして何より自分たちの力に自信を持っていた。

    フルゲーム2試合と10分間の第3戦で構成されたクォーターファイナル、セミファイナルと違い、ファイナルは負けたらおしまいの一発勝負。両者は一歩も譲らないまま試合終盤にまでもつれこんだ。しかしディフェンスのプレッシャーを高めた栃木が、わずかに先に出た。

    気づけば、試合開始から流れていたBGMが止まり、声援だけが会場を包んでいた。

    第4クォーター残り1分7秒、79-82、栃木リード。北がタイムアウトをとった。出された指示は篠山とファジーカスのピック&ロール。そこからのプレーはゲームメイクを担う篠山に委ねられた。

    サイドラインの辻がファジーカスにボールを出す。エンドライン付近から駆け上がった篠山がそのボールを受け取る。篠山をマークする遠藤祐亮がファジーカスのスクリーンに引っかかり、篠山の前が空いた。

    やることはタイムアウト明けから決めていた。直前のオフェンスで失敗したライアン・スパングラーのアリウーププレーだ。

    <ミスしたままで終わってたまるか。次こそ成功させて、絶対にもう一波作る>

    一度ドリブルを突き、左手で高い軌道のパスを出した。

    ボールはリングの上を通過し、スパングラーをも通り越し、そのままエンドラインの外に落ちた。

    絶好のチャンスは、ターンオーバーという最悪の形で終わった。

    試合終了のブザーが鳴った。79-85。Bリーグ初代王者に輝いたのは栃木ブレックスだった。

    篠山は大きく肩を落とした後、栃木の選手たちに握手を求めに行った。しかし、途中で踵を返した。

    <そんなんじゃねえよな……>

    ドラマの主役は、もみくちゃになりながら優勝を喜び合う栃木。端役になった自分がそこに加わることなど、この場にいる誰もが求めていない。

    敗戦から手に入れたもの

    表彰式を終え、ロッカールームに戻った。みな沈んだ顔をし、口数は少なかった。

    おもむろに北が話しだした。

    「負けたのはヘッドコーチの俺の責任だ。みんなはよく頑張ってくれた。ありがとう。プロになったことで、これからはどんどん選手が入れ替わっていく。このメンバーでやるのもたぶん今回がラストだ」

    <そうだよな。プロってそういうことなんだよな………>

    北の言葉に、篠山の涙腺が少しゆるんだ。

    自分たちと栃木を分けたのは、一つひとつのプレーの精度の差だった。もっと端的に言えばポイントガードである自分と田臥の差だ。

    プロとして何度も厳しい戦いに身を投じてきた田臥は、この大一番でも冷静にプレーし、流れが変わるここぞというタイミングで自らの力を発揮した。残り16.0秒で6点リード、ほぼ勝敗が決まっていた場面でもルーズボールを追いかけて観客席に飛び込んだ。

    かたや自分はどうだ。

    正しい状況判断が出来ず、自分のミスを挽回するための独りよがりなプレーで決定的なチャンスを逃し、その後は最後までそれを引きずりながらプレーしていた。

    <この1年、必死に成長してきたつもりだったけど、最後の最後に田臥さんに『まだまだ甘い』って言われたみたいなゲームだった>

    篠山はそう悔やみつつ、<でも>と、試合前のコートインセレモニーを思い出す。

    1万人を超える大観衆が見つめる中、コート上の自分たちだけがスポットライトに照らされていた。

    小さいころから、夢はバスケットボールで飯を食べることだった。Bリーグが誕生し、所属チームがプロになり、たどりついたのは子どもの頃に想像していた以上の場所だった。

    ぞわぞわと沸き立つ鳥肌の感覚と、泣きそうになるほど高ぶった感情と、目の前に広がっていた景色。

    <どれも一生忘れないでいよう>

    篠山はそう誓った。

    ビールかけに備えて持ってきたシャンプーセットも、優勝Tシャツも、ネットカット用のハサミも、帰りのバスで飲む予定だったビールも、全部不要になった。そのかわり、川崎ブレイブサンダースに関わるすべての人々は、この試合でたくさんのことを知った。

    これからプロとして突き詰めなければいけないことが山ほどあるということ。

    そして、日本中が注目する最高峰での全力勝負が、信じられないほど楽しく、幸せなものだということを。

  • 4択クイズの答え

    「ニザが言うてたあれ、何なんすかね」

    辻直人が篠山竜青に尋ねた。

    シーホース三河戦を控えた12月4日の練習後、マネージャーの二澤卓馬から、明日の練習後に社長の荒木雅己が練習場に来るから時間を取るようにと言われた。二澤に理由を聞いたがわからないという。

    篠山は「クイズをしよう」と言った。

    「A、チームがなくなる。B、明日の朝刊に記事が出るけど事実無根。C、運営会社が変わる。D、三河戦がんばれ。さあどれだ?」

    まわりにいた選手たちも加わり、「Dだ」「いやBだろう」などと盛り上がってはいたが、内心ではみな「もしかしたら」という思いを抱えていた。

    現在の親会社である東芝が経営難だということは、Bリーグが開幕する以前から大きく報じられていた。8月にはスポーツ新聞の一面でチームが買収されると報じられたが、荒木からは「絶対にない」と説明を受けていた。

    翌日の練習後、チームスタッフだけでなくフロントスタッフも集まっていて、秘密保持の契約書にサインするよう指示があった。

    全員がクイズの答えが2択に絞られたと悟った。

    荒木は来季から、クラブのオーナーが東芝からDeNAに変わると伝えた。

    日本のバスケ界を変えるクラブを

    プロ野球で一定の成果を挙げたDeNAは、新たなチャレンジを模索していた。一方の東芝側は、前年のシーズン中から水面下でクラブの受け入れ先を検討しており、1ヵ月ほどでチーム承継の話がまとまった。

    横浜DeNAベイスターズの事業本部長を務める元沢伸夫は、ブレイブサンダースの承継がいよいよ決まるというタイミングで自ら運営会社の社長に名乗りを上げた。

    元沢はいずれベイスターズの社長になることも期待されるポジションにいた。そして2012年に経営権を引き継いだ球団も、2016に球団黒字化、2017年10月に初のクライマックスシリーズ進出を果たすなど、ようやく軌道に乗り始めたところだった。

    会議に参加していた役員はみな驚いた。「本気か?」「相当大変だぞ」と念を押されたが、元沢の気持ちは変わらなかった。商いを営む両親に育てられた、根っからの起業家体質の元沢にとって、ブレイブサンダースはさまざまな可能性に満ちた大海だった。

    2018年2月、元沢は顔合わせを兼ねてチームスタッフ一人ひとりと面談を行った。ベイスターズと比べればこじんまりとした人数ではあるが、旧リーグ時代から常勝チームを作り上げてきた彼らのマインドは非常に高いものだった。選手たちのクオリティの高さも、試合を見ればすぐに理解できた。

    <俺が介入する必要はまったくないな>

    元沢はそう確信し、彼らとクラブをさらに引き上げるためのコンセプト作りに着手した。

    Bリーグの誕生で、国内におけるバスケットボールの知名度は一気に上がった。しかし、NPBやJリーグと比べれば事業規模が小さく、選手年俸も低く、社会的な存在意義もまだまだ低い。そこにDeNAがバスケ界に参入する意義と、自分がクラブの社長になる理由がある。

    <川崎ブレイブサンダースがBリーグ、そして日本のバスケットボール業界全体を変えていくんだーー>

    “MAKE THE FUTURE OF BASKETBALL 川崎からバスケの未来を”

    新生川崎ブレイブサンダースの使命が定まった。

    想定外の事態、そこからの奮闘

    元沢は、自分が手を入れるべきと判断したことには全力でコミットするが、任せられるところはとことん任せるというタイプのリーダーだ。ベイスターズを離れた大きな理由も、社のあらゆる部署が「自分がいなくても回る」というところまで来たと感じたからだった。

    プロ2年目の川崎ブレイブサンダースの場合、チームに関わる領域以外のほとんどが前者だった。

    まず、大打撃だったのがスポンサー。オーナーの変更に伴い、多くが東芝グループ会社で構成されたスポンサー企業のほとんどが契約更新を取りやめ、最終的に8社しか残らなかった。多少減るとは想定していたが、まさかここまでとは誰も考えておらず、社内は騒然となった。

    元沢は新たに入社した営業部隊の尻を叩きつつ、自身も商工会議所やロータリークラブの会合に毎日のように参加し、決裁権を持つ人々にチームの魅力やクラブの未来を必死に説いた。

    「必ずこのクラブを世界に通じるクラブにします。どうか応援してやってください」

    「我々にも川崎の未来を作るお手伝いをさせてほしいんです」

    元沢や営業チームの必死さが伝わったのか、さまざまな企業や団体がさまざまな形でサポートを申し出てくれた。

    アリーナのエンターテインメント性を高めるための、吊り下げ式の大型ビジョンを取り付ける計画や、花火や炎といった特殊効果を使った演出を行う許可取りも、元沢が主体で、アリーナを管理する川崎市や業者とやり取りを行った。

    全国屈指の労働力人口を有し、かつての「工業の街」というイメージと異なる街づくりを推進している川崎市は、DeNAが生み出そうとしている新たな変化を歓迎してくれた。

    生ビールの売り子をアリーナ内に配置する交渉が難航し、元沢と担当者が口論になりかけたときは、別の部署の職員が間に入って橋渡しをしてくれた。

    プロチームを応援するということ

    とはいえ、このような変化を誰もが両手で歓迎していたわけではない。

    プロ化する以前からチームを応援してきたファンは、大きな不安と懐疑の目を向けていた。過去の歴史を振り返ってみても、オーナーの変更によってチーム名やイメージカラー、メンバー編成が様変わりしたプロチームは枚挙にいとまがないがないからだ。

    ある日、シーズンシート所有者を対象に、今後に関する説明会が行われた。東芝時代から長年にわたってクラブを応援してきた人ばかりだ。

    「チーム名やチームカラーはどうか変えないでください」

    「東芝時代をなかったことにはしないでほしい」

    そう切々と訴える人もいれば、「勝手なことをするならもうファンをやめる」と激昂する人もいた。元沢自身は一つひとつの言葉に、時に熱くなりながらも自らの思いや考えを説明した。

    2時間程度の予定だった会は3時間、4時間と続き、終電間際の時刻にお開きとなった。

    元沢は疲労困憊の身体をタクシーのシートに沈めた。これからオフィスに戻り、朝までにもう一仕事が待っている。

    窓の外をぼんやりと見ながら、ファンたちの言葉と表情を反芻した。

    彼らの言葉のほとんどは理路整然としたものではなかった。ただ、そこには川崎ブレイブサンダースというチームに対する深く、熱く、ずっしりとした質量を伴う愛情が確かに存在し、ビジネスマンとしての元沢の心を打った。

    プロスポーツチームを応援するということは、理屈ではない。

    だからこそ、クラブに携わる人間たちは、彼らと同等の熱意で一つひとつの施策を作り上げ、実行し、彼らに自分たちの本気さを示し続けなければいけないのだと元沢は知った。

  • 託されたバトン

    「このチームをいつかアジアで一番強いチームにします」

    2018年の初春、新運営会社の社長となる元沢伸夫との面談で佐藤賢次はそう言った。

    東芝ブレイブサンダース時代から、選手として9年、アシスタントコーチとして7年チームに在籍している佐藤は、2014年から16年にかけて男子日本代表のアシスタントコーチを務めた。アジアや世界の強豪国と戦い、打ちのめされたことで、「川崎ブレイブサンダースとして世界に近づきたい」という思いを抱くようになった。

    そしてそれは奇しくも、元沢がクラブ構想に入れ込もうと考えていた「アジアに通ずるクラブ」というミッションと一致していた。

    2018-19シーズン、チームは開幕初年度の圧倒的な強さを徐々に失いつつあった。初めて地区優勝を逃し、地区2位で進出したチャンピオンシップはクォーターファイナルで栃木ブレックスに敗れた。

    ブレックスアリーナ宇都宮でシーズン最後のミーティングを行った後、ヘッドコーチの北卓也は佐藤をロッカールームの外に連れ出し、言った。

    「俺、もうやめるから。次、よろしく」

    ホーム最終戦の新潟アルビレックスBB戦に敗れたその日の夜、北はヘッドコーチを辞任し、後任を佐藤に託したいという意向を元沢に伝えていた。

    いつか自分がチームの指揮をとる日が来ると思っていた。プレシーズンゲームでは北の意向でヘッドコーチ代行を務めた。「自分がヘッドコーチだったら……」というアイディアがふつふつと生まれていた。

    心の準備はできていた。

    佐藤は「わかりました」と言った。

    改革

    本当のプロフェッショナルとは何か。

    勝つためのチームカルチャーとは何か。

    守るべき伝統は何で、そこから何を変えていかなければならないのか。

    チームは抜本的な改革を求められるタイミングを迎えていた。

    佐藤のヘッドコーチとして最初の仕事は、これらのテーマと徹底的に向き合い、それを達成するための計画を立てることだった。

    東芝時代、佐藤はバスケットボール部の活動と並行して同社の環境保全を担当していた。一つの大きな目標を達成するために緻密な設計図を描き、その中に設けた小さな目標を一つひとつクリアしていくことは社業で何度も経験していた。

    Be Ready(常に相手より先に準備する)

    Be Tough(常に相手よりタフに戦う)

    Disrupt(相手のやりたいことを壊す)

    Dictate(自分たちからやりたいことに仕向けていく)

    佐藤はこのようにチームコンセプトを作り、戦術からチーム運営に至るまで大きな改革を行った。その一つが、チームが伝統とするディフェンスだった。

    佐藤はミーティングルームに選手たちを集め、映像を見せた。

    それは自分たちのディフェンスを切り取ったものだった。

    「こんなディフェンスじゃあ優勝できないよ」

    佐藤は選手たちにそう言い、激しいプレッシャーディフェンスを試合を通して仕掛け続け、スキがあれば前に出て相手のボールを奪うスタイルで戦うと伝えた。

    篠山竜青と、そしてこの春日本国籍を取得したニック・ファジーカスが日本代表の活動で不在だった上、ケガ人も多かった。プレー出来る7人の選手たちは全力でコートを駆け回り、マークマンに張りつき続ける。

    「とにかくフルスロットルで!もうやれないと思ったら交代するから!!」

    そんな佐藤の声に押し上げられるように、選手たちはきしむ身体にムチを打ち、”あと一歩”を広げていく。

    そのプロセスは苦しくはあったが、それ以上に大きな充実感に満ちていた。

    届かなかった冠

    選手交代を多用し、ハードなディフェンスを40分間仕掛け続ける。

    コンディションや対戦相手に応じて先発メンバーやラインナップを柔軟に変える。

    登録区分が帰化に変わったファジーカスと外国籍ビッグマン2人を同時起用することでコート内に圧倒的なアドバンテージを作り、そこから生まれたスペースにガード陣が切り込んでいく。

    選手たちは新たなスタイルをいきいきと体現し、1月の天皇杯決勝では4人の主力を欠きながら優勝に肉薄した。

    9日の準々決勝、11日の準決勝、12日の決勝とほぼ休みなくコートに立ち、相手のキーマンをマークし続けた長谷川技は、決勝後、すべてを出し尽くした状態で報道陣からの取材に応じていた。

    攻守ともにそつのないプレーをすることで、チームに貢献していると考えていた。しかし、シーズン始動時のビデオミーティングでそうではないと痛感させられた。

    <賢次さんの言う通り、こんなディフェンスじゃ勝てねえわ>

    自分が変わらなければ優勝には届かない。

    長谷川は自分の持つエナジーの大半をディフェンスに注ぎ込むと決め、一段階も二段階も上のプレッシャーディフェンスを追い求めた。

    ディフェンスが面白いなんて、一度も思ったことはない。

    きついし、たまのスティールやブロックくらいしか目に見える成功はない。

    しかし、佐藤から試合の出だしでディフェンスの強度を示す「ファーストパンチ」の役割を与えられ、ファウル上等の意識でマークマンを守り、相手の戦意をくじくと、何も言わずともチームメイトたちのボルテージが上がった。

    「ハセはうちのベストディフェンダーなので」

    佐藤がメディアにそう話してくれることがうれしかった。

    天皇杯決勝のサンロッカーズ渋谷戦、長谷川は無尽蔵のスタミナとスピードを誇るベンドラメ礼生とのマッチアップを任され、最初のプレーからベンドラメに激しくまとわりついた。

    ベンチ入りメンバーはわずか8人。長谷川だけでなくみなが限界に近く、ファジーカスとジョーダン・ヒースは一度もベンチに下がれなかった。それでも持ちうる力を絞り出し、試合終了間際まで勝敗の分からないゲームをした。

    <こんな状態でよくここまでこられた。だからこそこのメンバーで勝ちたかった。あと少しだった>

    記者からの質問に答えているうちに、思いがけず言葉が詰まった。

    あふれた涙が頬に流れ出し、止まらなくなった。

    ほころび

    2020年、3月27日。新型コロナウイルスの感染拡大により、2019-20シーズンの中止が発表された。31勝9敗という成績を挙げたチームは、中地区優勝を奪還してシーズンを終えた。

    この先の世界、自分たちの生活すらもがどうなるかわからない状況の中ではあったが、チームは次のシーズンに向けて大きな手応えを得ていた。

    どんな状況でも屈することなく、最後まで勝利を求め、全力で、勇敢に、戦い続ける。

    追い求めるべきカルチャーが定まったチームは、次シーズン以降もチャンピオンシップに出場し、2020-21シーズン、2021-22シーズンは天皇杯連覇を達成した。

    ただ、チームはゆるやかに袋小路に追い込まれていた。

    届かなかった冠

    ファジーカスのパフォーマンスは、少しずつ衰えが見え始めた。

    207cmの長身と卓越したスキルを持つファジーカスは、2012年の加入以来、常にリーダーとしてチームを引っ張り、Bリーグ初年度にはレギュラーシーズンMVPにも輝いた。。ライバルチームたちは反則級の実力者を止めるために必死に策を練り、彼に匹敵する外国籍選手を獲得した。

    リーグ1の平均得点を叩き出した2021-22シーズン、チャンピオンシップセミファイナルで対戦した宇都宮ブレックスは、ファジーカスの弱点を含むチームの戦術の穴を徹底的に突き、レギュラーシーズンの対戦成績を覆してファイナルに進出。そのまま二度目のリーグ王者に輝いた。

    佐藤はヘッドコーチ就任以来、ゼネラルマネージャーの北とともに、メンバー編成や戦術でファジーカスをどうサポートするか、ファジーカスが去ったあとのチームにどう強さを繋いでいくかを模索し続けていた。

    ただ、それは非常に繊細なオペレーションだった。

    ファジーカスはチームに携わる人々に勝利の喜びを教えた大きな貢献者であり、ストイックに自分を高めるプロフェッショナルであり、10分の紅白戦ですら敗北を嫌うファイターだった。そして、世界各地を転々とした末に川崎という街に安住を見出し、自身を認めてくれたブレイブサンダースというクラブを愛した男だった。

    プロ化以降、とりわけ日本国籍を取得して以降、ファジーカスのもとには他クラブから高額オファーがいくつも舞い込んできた。しかし彼はブレイブサンダースに留まることを選び、コロナ禍による緊急財政のときは大幅な減額オファーすらをも受け入れた。

    「お金じゃないんだよ。ここにいて、『川崎と言えばニック』と思ってもらえることが俺の幸せなんだ」

    そう笑う彼の功績と恩義をないがしろにするようなことは出来なかった。

    2023-24シーズンに向けた契約更改で、ファジーカスはこのシーズン限りで現役を引退すると表明した。クラブはこのシーズンを「NICK THE LAST」と大々的に銘打ち、チームは「ニックのために優勝する」と意気込み、走り出した。

    北はファジーカスの負担を減らすために、自ら起点となって得点を取れるロスコ・アレンとトーマス・ウィンブッシュを獲得した。佐藤はファジーカスの熾烈なマークを分散し、より楽に攻めさせるために、2人に1対1を指示した。

    しかしファジーカスはこれを「自分が攻撃のファーストオプションではない」と受け取り、プライドにひどく障った。

    また、ファジーカスはバスケットボールIQの高さを活かし、デザインされたプレーを状況に応じてアレンジすることがままあった。彼と長くプレーした者たちは阿吽の呼吸でその意図を読み取り、最適解のアクションを起こすことができるが、新たに加わった選手たちに同じことはできない。ファジーカスは慣れ親しんだ藤井祐眞とのコンビプレーを選択することが増えていった。

    「ニックから見れば期待に満たない選手も多いかもしれない。でもニックはどのチームからも徹底的にスカウティングされているし、祐眞とのハイピックも読まれている。勝負どころでニックの力を最大化するためにも我慢してくれないか」

    佐藤がそう言うと、ファジーカスは信じられないという表情で「ケンジは俺を信頼してくれないのか?」と言った。

    チーム全員で勝利をつかみたい指揮官と、自らの力を証明して勝ちたいエースの思いは平行線をたどった。

    衝突

    ファジーカスは1月初旬に左膝を負傷し、約1カ月チームを離れた。復帰戦となった2月10日の茨城ロボッツ戦、佐藤はファジーカスに出場時間に制限をかけると伝え、彼もそれを受け入れた。

    ファジーカスのプレーは、明らかに精彩を欠いていた。

    <まだまだ本調子には程遠い>

    そう判断した佐藤は、ファジーカスの出場時間を予定よりさらに短くした。

    81-85で敗れ、ミーティングを終えた後、佐藤はロッカールーム横のミーティング室にファジーカスを呼んだ。久しぶりにプレーしてみての感触を聞き、明日の試合、そして4日後に控えた天皇杯準決勝の戦い方の参考にするためだった。

    ミーティング室に足を踏み入れたファジーカスは、コーチ陣が揃った状況を一目見た瞬間、表情を変えた。

    「足の調子はどうだった?」

    アシスタントコーチの勝久ジェフリーが佐藤の言葉を訳するよりも前に、彼は激昂した。

    「なんでだ!? なぜ時間通り俺を出さなかったんだ? 俺は復帰に向けてタフにトレーニングしてきたんだ。俺があのまま試合に出ていたら勝っていたはずだ!」

    佐藤はファジーカスの予想外の剣幕にあっけにとられた後、つとめて冷静に言った。

    「俺はニックを責めるために呼んだんじゃない。今の足の状況を知りたいだけなんだ」

    チームを勝たせたいという想いでこの1ヶ月間必死にリハビリを追い込み復帰したファジーカスにとって、その感情は収まるどころかさらにふくれ上がり、収拾がつかないほどにまでおよんだ。さすがに佐藤も黙っていられなくなった。

    「今日のパフォーマンスを冷静に振り返ってみろよ!ニックをあれ以上出していたらもっと大差で負けていたよ!!」

    ファジーカスは親に叱られた子どものような表情をした。

    どうやって口論が終わったか、いつ他のスタッフがいなくなったか、覚えていない。

    佐藤は一人でミーティング室の椅子に座っていた。

    <なんでこんなことになっちゃったんだろうなあ>

    明日の試合のこと。ファジーカスのこと。天皇杯のこと。残りのシーズンのこと。虚空を浮遊するとりとめない思考を、佐藤はぼんやりと眺めていた。

    「………あの」

    入り口のほうから不意に声が聞こえた。目を向けると、運営担当のスタッフが立っていた。

    「あれ、どうしました?」

    「そろそろ閉館の時間で……」

    あわてて時計に目をやり、目を疑った。

    21時半。

    試合が終わってから3時間近くが経っていた。

    控え選手たちが見せたもの

    惨敗に終わった天皇杯の琉球ゴールデンキングス戦以降も、佐藤はチームを修復する糸口を見つけられなかった。

    北や篠山の仲裁により、ファジーカスとは一応の和解に至ったものの、2人の心はさらに離れた。。2月初旬、ゴールまわりでファジーカスのプレーをサポートするジョーダン・ヒースが長期欠場すると、チームは目も当てられぬ状況にまで落ち込んだ。

    <もうダメだ>

    チャンピオンシップ進出の大きな分水嶺となる3月末の千葉ジェッツ戦、4月頭の広島ドラゴンフライズ戦で4連敗を喫し、佐藤はさじを投げかけた。

    佐藤は選手を疑い、選手も佐藤を疑った。

    前向きな対話や、倒れた仲間に差し伸べる腕や、5人が集まり、お互いの意思を統一することが減っていった。

    佐藤が5年間で作り上げてきたはずのカルチャーは、気づいたらなくなっていた。

    かのように見えた。

    レギュラーシーズン最終節、横浜ビー・コルセアーズ戦。

    ホーム最終戦のサンロッカーズ渋谷戦に敗れ、自力でのチャンピオンシップ出場の可能性はなくなった。しかし、自分たちが2勝し、シーホース三河が2敗すれば最後の一枠を勝ち取るチャンスがある。

    シーズンの大半を二番手以下で過ごした選手たちが、希望を繋いだ。

    シーズン終盤、自信を失いかけていたウィンブッシュは、篠山と長谷川の「お前のエゴが必要だ」という言葉でカムバックし、鋭い1対1からチーム最多の31得点を挙げた。

    ベンチ外を多く経験した飯田遼は、長谷川から学んだディフェンス技術を駆使して河村勇輝に張り付き続け、横浜BCのラストポゼッションを潰す値千金のスティールを成功させて延長戦に繋いだ。

    篠山は、ベンチで収集した情報をもとに横浜BCの穴を突き、仲間を活かすゲームメイクを展開した。11点ビハインドで始まった第4クォーターの追い上げを演出し、延長戦は自ら得点を奪いに行き、激闘を制するヒーローになった。

    相手を恐れることなく、先手で仕掛けるディフェンス。

    点差が離れても最後まであきらめないという意思。

    お互いが助け合い、思いやることから生まれる力。

    まわりや自身が置かれた状況に流されまいと必死に踏ん張り、地道に努力を重ねていた選手たちが、佐藤が求めていたものを体現した。

    ヒーローインタビューを終えた篠山は、傍らにいたクラブ広報に「三河、どうだった?」と尋ねた。

    彼女は首を横に振った。

    「そっか……」

    川崎ブレイブサンダースの、Bリーグ開幕以来初となるチャンピオンシップ不出場が決まった。

    後悔

    翌日の第2戦に79-87で敗れ、シーズン最後となったチームミーティングを行ったあと、佐藤は北にロッカールームの外に促された。

    心の準備はできていた。

    北は言いづらそうにしながらも、きっぱりと言った。

    「……賢次も察しているとは思うけど、ヘッドコーチとしての役目は今シーズンで終えてもらおうと思う」

    佐藤は「わかりました」とだけ言葉を返した。

    <どうしてこうなってしまったんだろう>

    チームバスの待機場所に向かいながら、考えた。

    ヘッドコーチ就任から5年、少しずつ前に進んできたつもりだった。

    シーズンごとに戦術やチーム体制をアップデートし、選手たちと対話し、抱える不満を吐き出せるような機会も設けてきたはずだった。

    しかし、気づいたら自分の手の中は空っぽだ。

    <もう一年だけ続けさせてほしい>

    そんなことが言える立場ではないことは分かっていた。でも、このままではとても終われないと思った。

    結果を出せなかった悔しさ。

    スタッフ、ファン、選手たちへの申し訳なさ。

    指揮官として至らなかった情けなさ。

    いろんな感情が喉もとにせり上がってくる。

    横浜BUNTAIの狭い通路で、44歳の男が一人で泣いていた。

  • セイムページ

    篠山竜青は、新シーズンのチーム編成が確定した時点で、新時代の船出が厳しいものになるだろうと見通していた。

    在籍12年のニック・ファジーカスが現役引退し、10年の藤井祐眞、5年のジョーダン・ヒースが移籍。Bリーグ初挑戦の外国籍ヘッドコーチが指揮する、12選手のうち5人が新加入、4人が在籍2年というチームが、新体制1年目から優勝候補に名乗りを挙げられるほどこのリーグは甘くないからだ。

    何より、2023-24シーズンを戦い終えた篠山は疲れ切っていた。

    優勝争いの一角として戦い続けることは、肉体面はもとより精神面での負荷が大きい。「ニックのために何が何でも勝たなければいけない」というプレッシャーに縛られた昨シーズンは、それが顕著だった。篠山は多くの者が柔軟さや前向きさや思いやりを失っていることに気づき、会話を試みたが、それはどこか噛み合わないまま終わった。篠山は試合を重ねるごとに言葉を飲み込むようになり、チームを離れるという選択肢すら頭に浮かぶようになっていた。

    しかし、練習が始まってみると、去年のことどころか先のことすら考える余裕がなくなった。

    ヨーロッパで長くコーチングキャリアを積んだネノ・ギンズブルグは、日本人選手たちが自信を持ってプレーし、よりステップアップすることを目指して、闘争心を煽り、「もっと戦え」「もっと走れ」と尻を叩き続けた。ファジーカスに合わせて少し強度が落とし気味だったここ数年とは比較にならないほどの運動量に、全員疲労困憊だった。

    「お前たちはもっと走れるだろう」

    35歳と34歳。ベテランの領域に入った篠山と長谷川技も例外でないどころか、さらに発破をかけられた。

    <マジかよ……>

    2人はげっそりとした顔を見合わせた。

    始動時に予想した通り、勝ち星は増えなかった。

    ネノのバスケットボール哲学は「カオスな状況からどう答えを出すか」。高いバスケットボールIQと対応力ありきのスタイルを体現する前に自分たちが混乱してしまい、前半で勝敗が決してしまうような試合もあった。

    <12年も一緒にやってたんだもんな>

    篠山はファジーカスの存在の大きさを改めて痛感した。

    篠山がチームに加入したのは、ファジーカスが加入する前年の2011年。最下位でシーズンを終えたチームは、ファジーカス、辻直人、長谷川が加入した翌年に一気に準優勝まで駆け上がり、さらに翌年にはチャンピオンに輝いた。

    どんなに難しいシチュエーションでもファジーカスにボールが渡りさえすればたいていのことが解決した。そしてそれゆえに最後は行き詰まった。

    今のチームには、ファジーカスのような選手はいない。

    それが心細くもあり、同時に心が躍りもする。

    集まった選手たちはみな仲間思いで、忍耐強かった。負けが混んでも、パニックになっても、それを誰かのせいにする者はいなかった。

    どうすれば成長できるか、どうすればチームの勝利に貢献できるか、必死に考え、行動していた。

    バスケットボールという競技に全力を注ぎ込み、没頭する感覚を、篠山は久しぶりに取り戻した。

    戦う理由

    「チームが苦しんでいるからこそ、自分たちも歯を食いしばってそれを支えよう」

    事業を担うフロントサイドのメンバーは、そう言い合いながらそれぞれの業務をまっとうした。

    プロスポーツの主役はチームであり選手だが、フロントサイドの人間たちも不可欠なキャストだ。

    「チームが強ければ万事OKです」

    「チームが負けたらやれることはありません」

    「困ったら親会社に助けてもらいます」

    これではビジネスとして成立しない。

    日本のスポーツ史を紐解いてみても、親会社の経営不振で立ち行かなくなり、消滅ないし経営譲渡された名門チームの事例は少なくない。そもそも、川崎ブレイブサンダースこそがそれを経験した当事者だ。

    オーナー企業や大資本の状況に左右されることなく自分たちで土台を固め、その上にチームをすっくと立たせ、時に押し上げる。

    その大前提のもと、グッズ担当はファンに喜んでもらえる商品を考案し、営業担当は企業名を出すだけに留まらないスポンサー企業の露出方法を提案し、広報担当はメディアに選手やクラブの魅力をアピールした。

    マネージャーとしてチームに加入した山科朋史は、DeNA初年度の2018-19シーズンに強化部に異動し、現在は選手やスタッフのリクルートを担当している。

    チームサイドとビジネスサイド、双方の苦労を知る山科は、ゼネラルマネージャーの北卓也とリクルートする選手と面談する時に必ず言うことがある。

    「川崎ブレイブサンダースは、親会社に依存せず、クラブで自立して、自分たちの力で勝ち続ける経営を本気で目指しているクラブです。選手やチームスタッフが勝利のために毎日必死に準備するのと同じ覚悟で、事業スタッフも必死にクラブをPRし、チケットやグッズ・飲食を売り、スポンサーを集め、クラブの売上を作っています。チームの1勝を勝ち取るために、コートで戦う選手の1分1秒を支えるために、日々汗水垂らして本気で働いている人がたくさんいるクラブです。そういう人たちの思いと覚悟を背負ってコートに立ってもらえたらうれしいです」

    この言葉は、選手の意思決定にプラスには響いていないかもしれない。それでも北と山科は同じことを繰り返し伝え続け、これからも伝え続けようと考えている。

  • 希望の星

    ルーキーシーズンを華々しく迎えるつもりだった。

    下位に沈んだチームを救い、ファンを喜ばせるつもりだった。

    <開幕から俺が試合に出ていたら、チームはどうなっていたんだろう>

    米須玲音はこのシーズンのことを生涯忘れないだろう。

    高校3年生の冬に特別指定選手として迎え入れられて以来、米須は「プロとしてここに帰ってくる」という強い思いを持って大学4年間を過ごしてきた。栄養に気を配り、身体を作り、度重なったケガも歯を食いしばって乗り越えた。

    12月の全日本大学選手権で優勝し、晴れて正式契約をかわして加わったチームの状況は4年前から大きく変わっていたが、<自分がチームを強くする>と逆に気持ちが奮い立っていた。

    米須は合流からわずか3日で迎えた試合でいきなり10アシストを叩き出し、シーズン初の同一カード連勝に貢献した。前節まで10連敗を喫していたチームとファンは、彼の姿に明るい未来を描かずにはいられなかった。

    ところが、試合を重ねるごとに米須のパスは徹底的に対策されるようになり、ボールを持たせないように間合いを詰めたり、逆にパスカットを狙うために間合いを開けたりされた。

    米須は3Pシュートがあまり得意ではない。間合いを開けられた時、打つか、打たないかを逡巡するごくわずかな時間がゲームメイクのリズムを狂わせる。

    <パスを読まれている。というより「こいつはどうせ得点を狙わない」と思われてるんだ>

    「得点力」という早急の課題を見つけた米須は、シーズンが終わってもクラブハウスに残り、3Pシュートのフォーム改善に励んだ。

    モーションはより早く。打点はより高く。これまで以上に高く跳ばなければならず、足に疲労が溜まりやすいのが気になったが、そのうち解消するだろうと考えた。

    チーム練習が始まってからも、実戦形式の練習やゲームでパスよりも先にシュートを選択することを意識した。

    「レオト!シュートを打ちすぎだ!!」

    へッドコーチのネノ・ギンズブルグにカミナリを落とされ、<やりすぎたか>と反省していたら、篠山がおもむろに近づいてきて耳打ちした。

    「そんくらいでちょうどいいよ。打たないで怒られるよりか全然いい」

    篠山には去年にも、同時期に加入した山内ジャヘル琉人と2人で「まずは20点とってこい」と発破をかけられていた。

    12月末に加入した去年は35試合出場に留まったが、フルシーズンはその倍近い60試合ある。アウェーの移動や水曜ゲームも含むハードなスケジュールと高い強度に少しずつ身体を慣らしながら、着実にステップアップを果たそうと米須は意気込んだ。

    <毎試合2ケタ得点を目指しながら、最終的に得点も取れてアシストもできて、最後の勝負どころで自分が決め切れるような選手になろう>

    胸の奥でよどんでいた不安がようやく消えてきた矢先の、出来事だった。

    ルーキーの苦しみ、ベテランの思い

    開幕戦を約1ヵ月後に控えた最後のプレシーズンゲーム、米須は第1クォーターで負傷し、コートを去った。

    右肩関節脱臼、全治未定。

    過去に同じケガを2度負ったことがある。診断を受ける前から予想は出来ていたが、実際に聞くと頭が真っ白になった。

    主力のポイントガードが一枚欠けたことを受け、本来はウイングポジションのオマール・ジャマレディンが慣れないゲームメイクを担う時間が増えた。米須の負傷を受けて緊急補強された岡田大河も、チームルールやチームメイトにアジャストするのに時間がかかった。

    昨年以上に黒星を重ねるチームをベンチの裏で見つめる米須の心は、仲間たちへの申し訳なさで押しつぶされそうだった。

    2月に復帰を果たし、篠山のバックアップとして少しずつ試合になじんでいった1ヶ月後からは、シーズンの主眼を若手の育成に切り替えた首脳陣の判断で先発起用されるようになった。すると、これまでとは異なる苦しさが米須を襲った。

    高校や大学の頃は、自分一人で局面をひっくり返してチームを勝利に導くことが出来たし、プロでもそれが出来ると思っていた。

    しかし今は、自分がどれだけ必死にプレーしても、どれだけいろんなことを考えても、チームを勝たせることができない。

    <あの時はああしていればよかったんじゃないか?>

    <いや、やっぱりこうしておいたほうがよかったのかもしれない……>

    頭の中のざわめきが収まらず、うまく寝付けない日々が増えていった。

    <チームが勝てないのはお前のせいじゃねえよ>

    苦しい表情をすることが増えた米須の姿に、篠山はもどかしい思いを抱いていた。

    負けが続けば誰だって苦しい。だが、勝敗の責任というものは誰か一人ーーましてやプロになって間もない選手が背負いきれるほど軽いものではない。

    それは選手全員、チーム全員、ひいてはクラブ全員で背負うものだ。

    何より、シーズンのほとんどを棒に振るケガから戻ってきた米須と、膝の不調で欠場が多かった山内には、バスケットができる楽しさや喜びを存分に感じてほしかった。

    <若手には、チームの勝ち負けにフォーカスするより先にやるべきことがたくさんある。前向きにチャレンジすることとか、自分が成長することだけを考えていてほしい>

    それが篠山の願いだった。

    1月のある日、篠山は復帰を間近に控えた米須が自主練習で3Pシュートを打ち込む様子を眺めていた。

    篠山は昨シーズンの途中より3Pシュートのフォームを改造し、シーズンここまでキャリアハイに迫る試投数と成功率を挙げていた。米須のフォームにはシーズン当初から違和感があったが、口を出すべきかずっと悩んでいた。

    <よし、言おう>

    篠山は米須に声をかけた。

    「もう少し力を抜いてみな」

    「こうっすか?」

    米須は少しずつフォームを変えながらシュートを打つ。しばらくすると<おっ>と思わせるシュートがあった。

    「そうそう、そんな感じ」

    篠山が言うと、米須は「シュートを打った感覚が全然なかったっす」と興奮した面持ちで言った。

    米須が先発出場するようになってからは、試合前に「勝負どころを見越して前半からある程度スリーを打っておけ」としつこく言い含めた。

    たとえ確率が悪くても何度も何度も同じことを言い続けた。

    「それでいい」「大丈夫だ」「打ち続けろ」

    BE BRAVE

    11月にアシスタントからヘッドコーチに昇格した勝久ジェフリーは、クラブアイデンティティ『BE BRAVE』を再構築し、それをコート上で体現することに力を注いだ。選手たちはそれぞれに全力を尽くしたが、やりきれないことも多かった。

    レギュラーシーズン最終節、vs横浜ビー・コルセアーズ第1戦。

    この節までで9連敗を喫し、昨シーズンの勝率を下回ることが確定したチームが、この試合に懸けられるものはそう多くない。

    「これほど苦しいシーズンを応援してくださったファミリーの皆さんに恩返しするためにも、最後まで自分たちのあるべき姿を体現しよう。そして、神奈川ダービーをしっかり勝ち越そう」

    勝久の言葉を受け、選手とスタッフは円になり手をつなぐ。互いの手のひらを通してエナジーが循環し、増幅していく。

    「1.2.3. BE BRAVE!」

    このメンバーで戦う最後の2試合が始まろうとしていた。

    お互いの意地がぶつかり合うダービーマッチで、川崎は74-71で第1戦をとった。

    21歳の伊久江ロイ英輝は、シーズンを通してプレータイムが限られた。苦しい思いもしたが、終盤は<やるべきことを全部吐き出す>と腹を決め、コートに立ったときは必ず何かしらの爪痕を残した。この試合も第1クォーター終盤、ゲイリー・クラークを相手に1対1を仕掛け、パワーで押し切って得点を決めた。

    米須はこの試合、オフェンスだけでなくディフェンスでも勝利に貢献した。第4クォーター残り1分過ぎにはパスカットからロスコ・アレンの速攻を演出してリードを4点とし、横浜BCにタイムアウトを取らせた。

    試合を重ねるごとに自分のディフェンスに課題感を覚えるようになった米須は、その名手である長谷川技を観察することが増えた。前節のvs越谷アルファーズ第1戦の後には、試合で起きたディフェンスのエラーにどう対処すればよかったかを長谷川に聞いた。

    長谷川と、その場に居合わせた飯田遼と水野幹太が、レクチャーをまじえながらていねいに教えてくれたことが、この試合にしっかりと生きた。

    そして、勝利を決めたのは今季から加入した津山尚大だった。

    好成績を挙げていた島根スサノオマジックの主力だった津山は、他に依らず、より独立した選手を目指すためにあえて苦境の川崎に移籍してきた。

    「平均2ケタ得点」という目標を掲げ、誰よりも長い時間を練習場で過ごし、どんな状況でも打つべきシュートを淡々と打ち切り続けた。これまでは口で何かを伝えるタイプではなかったが、独りよがりな行動をとる選手がいるときには「口で言う前にまず行動で示せ」と厳しく言葉をかけ、練習でも試合でも声で仲間たちを引っ張った。

    この試合は、第3クォーターに速攻と2本の3Pシュートを成功させて逆転に貢献。拮抗した展開で迎えた第4クォーター残り21.7秒には、迷いのないペイントアタックからフローターを沈めて再度試合をひっくり返し、横浜BCにタイムアウトを取らせた。

    横浜BCがラストオフェンスを仕掛ける。

    ボールを持っているのは津山の島根時代のチームメイトで、兄のように慕う安藤誓哉だ。

    <誓哉さんはたぶんピックを呼ばないで1対1で攻めてくる>

    予想は当たった。安藤は広いスペースを使ってじわじわと津山を揺さぶり、ドライブを仕掛けた。

    津山はなおも粘り強く張り付き続ける。

    焦れた安藤はショットクロックがまだ残る中でタフショットを放ち、それを落とした。

    3季ぶりの神奈川ダービーの勝ち越しがかかる川崎と、ホーム最終ゲームを負けでは終われない横浜BC。横浜BUNTAIは試合前から選手たちとファンの熱量に満ちていた。

    試合は序盤から第1戦以上に白熱した。

    ファーストショットを沈めたのは山内だった。気の弱いところがあり、母からよく「エンジンがかかるのが遅い」とたしなめられていたという山内は、試合の入りから攻め気を高く持ってシュートを放ち、3Pシュートを沈め、米須のロングパスから速攻のシュートを決めた。

    第1クォーター終盤に起用された野本建吾もサイズに似つかわしくない俊敏性と運動量で横浜BCのオフェンスを崩し、ドゥシャン・リスティッチは堅実なプレーからリバウンドと得点を積み上げてアドバンテージを作った。ケガからの復帰が叶わなかった水野は、コートに出ていく選手たちに言葉をかけ続けた。

    5点リードで迎えた第4クォーター。勝久は第2クォーター、第3クォーターと出番のなかった篠山をコートに送り出した。

    主力。控え。リーダー。ワンオブゼム。

    14年にわたるブレイブサンダースでのキャリアの中で、篠山はさまざま役割を与えられてきた。調子がよくてもプレータイムが与えられないことも、逆に調子が悪いのにプレータイムが増えることもあった。ただどんなときも恨み言を言わず、チームの勝利のために全力を尽くしてきた。

    ネノのハードな練習に適応した身体は、37歳にしてピークと言えるほどのキレがある。何より、ヒーローになれるのはここからの時間で輝く選手だ。

    篠山は勝負を懸けた一つひとつのプレーをひたすらに楽しんだ。

    ペイントアタックからのパスでアウトサイドの選手にノーマークのシュートを打たせたかと思ったら、自らシュートにまで持ち込んでバスケットカウント・ワンスローを獲得。さらに自分で行くと見せかけて、ペイントエリアに飛び込んだエマニュエル・テリーにパスを通した。

    リードが1点に詰まると、再び自らが切れ込んでフローター。米須が引き寄せられるようにペイントアタックからフローターを沈めると、<次は俺だ>と言わんばかりのアタックからテリーのダンクを演出した。残り58秒、米須のミスショットから速攻に転じられそうになった場面では、ダイブしてボールに飛びつき、ピンチを潰した。

    残り41.7秒。83-84川崎ボールのリスタート。

    米須からパスを受け、アレンとのピック&ロールからドライブを仕掛ける。ゴールから少し離れた場所から放ったフローターは外れ、アレンが必死に伸ばした腕に当たり、再び手元に戻る。

    左45度へと駆け上がるチームメイトと目が合った。

    その選手はこの試合、第2クォーターに3本、第3クォーターに1本3Pシュートを打ったが、いずれも成功していない。

    しかし、篠山にもその選手にも迷いはなかった。

    <打ち続けろ>

    アリーナ内に歓声と悲鳴が響き渡る。

    託されたボールを、米須は、ゆっくりと、力の抜けたフォームで宙に放った。

    選手たちをうまく導けず、成績が落ち込んだことへの反省と自責の念はもちろん深い。しかし、全員が「BE BRAVE」を体現し続け、神奈川ダービー勝ち越し、シーズン最終節連勝という素晴らしい結末を導き出した選手たちの姿に、勝久は思った。

    <このチームのヘッドコーチをやれてよかった>

    それぞれの未来

    2019-20シーズンから5季ヘッドコーチを務めた佐藤賢次は、ドイツへのコーチ留学を経て、今季からアシスタントゼネラルマネージャーに就任した。

    担当しているのは強化と育成。シーズン中のチーム練習の内容をすべてレポートにまとめ、若手選手やユースに所属する選手たちに目を配り、彼らを育てるための計画や体制を構築している。

    当時の社長、現会長の元沢伸夫との面談で宣言した「このクラブをアジア1のクラブに」という夢は、今も変わらず胸の中にある。決して崩れない”強いチームのカルチャー”を作り上げ、ヘッドコーチ時代にはできなかった恩返しを果たすことが、これからの自らの使命だと考えている。

    東芝時代からのファンで、2018年にアリーナの演出担当としてクラブに入社した東岡奈実は、プロ化、オーナーチェンジという二度の大きな変革を経てもなお、チームの雰囲気がゼネラルマネージャーの北卓也が大エースだった頃からあまり変わっていないことの特異さを、改めて実感している。

    一つのルーズボールにこだわる泥臭さ。コツコツと努力を重ねる勤勉さ。ファンの温かさ。こういったものを大切なものと認識し、守り、次に引き継ごうという意思を持つ人がいなかったら、それはとっくに途絶えていたはずだ。

    つらいこともたくさんある。それでもこのクラブで働き続けている理由は、伝統を大切に紡いできたチームと、そんなチームを支えるファンが作り上げるアリーナの雰囲気が好きだから。会場演出は毎シーズンアップデートを重ねているが、両者が織りなすものをこれからも大切にし続けたいと思った。

    小学3年生になった長谷川の長男は、数年前からバスケットボールを始めた。土日のホームゲームと近場のアウェーゲームは必ず応援に駆けつけ、長谷川もスケジュールが合う時は愛息のプレーぶりを見学する。

    我が子はここ2シーズン、チームが勝てていないことを当然理解している。試合後、「今日も負けたね」と無邪気に言われるのはこたえる。ただ、いつか父と同じ背番号をつけて川崎ブレイブサンダースでプレーするのだと意気込む息子に、格好悪い背中は見せられない。

    自分がこの先、どれだけこのクラブの選手でいられるか、現役を続けられるかはわからない。ただ息子が加入するブレイブサンダースが、たくさんのあたたかいファンに応援してもらえるクラブであってほしいと願っている。自分がこの2シーズン、結果によらず応援し続けてくれた人々に助けられたと感じているからこそ、なおさら強くそう思う。

    競争が激化するBリーグで、一つのクラブにずっとい続けられる選手はほんの一握り。ただ、叶うならば篠山や長谷川のようにこのクラブで長くプレーしたいと米須は思っている。

    篠山を見ていれば、クラブの顔を担う選手たちが輝きの裏にたくさんの苦労を隠していることはなんとなくわかる。それでも、限られた人しかたどり着けない”そちら側”に行きたい。重圧も責任も全部ひっくるめて、そこに至る道のりを楽しみたい。

    とどろきアリーナに響く声援が好きだ。カワサキコールで気持ちが上がると、視野がぐんと広がる。大きな歓声を受ければ受けるだけ、「どこにでもパスが出せる」という感覚になる。

    もっともっとすごいプレーを見せたいという気持ち。そして、北と佐藤、そして篠山と長谷川が繋いできた泥臭いバスケを、これから自分が受け継がなければいけないという気持ち。どちらともを大切にしながら、来季こそもっとたくさんの勝利に貢献し、自分の手で「強い川崎」を取り戻すと誓っている。

    毎日がとにかく必死だった。

    素人集団が経営するプロクラブはうまくいくのか。経営難の親会社はどうなるのか。来季の契約はもらえるのか。27歳にしてようやく巡ってきた日本代表定着のチャンスをどう活かすか。

    2016年の篠山には、未来のことを考えるような余裕はなかった。

    「川崎には未来がない」

    ファイナルの後、他クラブの関係者に言われた言葉に猛烈に腹が立ったあの時から10年。川崎ブレイブサンダースは予想していなかった未来の上に立っている。

    3,000人を集めるのも一苦労だったアリーナには、5,000人に近い来場が当たり前になった。

    緑色のシートと水色の椅子が目立つ”体育館”がブレイブレッドで染まり、花火や炎で演出された”エンターテインメント空間”になった。

    川崎、武蔵小杉、溝の口といったターミナル駅を中心に、市内の至るところにロウルや選手たちの写真が使われたポスター、パネル、ペナントが掲出され、グッズをカバンやスマホケースにあしらう人も増えた。

    2020-21シーズンには、川崎市内に本社を構える大手総合測定機器メーカー・株式会社ミツトヨがトップパートナーになった。本社には選手の写真が大きく使われた懸垂幕が設置され、試合のある平日は社員食堂のスタッフが自主的にユニフォームを着用する。応援アカウントの担当者は中継を毎試合チェックし、どんな負け試合でも前向きな言葉で紹介してくれる。

    新たに応援してくれる人たちが増えた一方で、東芝時代から変わらぬ愛を注いでくれる人々もいる。

    Bリーグ参戦を要望する署名を集めてくれた人。ホームはもちろん遠方のアウェーでも声援を送ってくれる人。ビラ配りを手伝ってくれた人。試合のボランティアスタッフを務めてくれた人。篠山が東芝に入社した初年度、北ヘッドコーチ体制1年目の「開幕10連敗、シーズン成績8勝34敗」を知っている人は「まだまだこれからだよ」と明るく励ましてくれる。

    予想していなかった未来は、確かに過去から生まれ、繋がったものだ。

    気づけば、プロ化10年の歩みをすべて経験した選手は篠山と長谷川の2人になった。

    社業でむくんだ足。

    会社員から個人事業主に切り替わる煩雑さ。

    チームがなくなるかもしれない不安。

    ケガで試合に出られない苦しみ。

    ケガをしていないのに試合に出られない苦しみ。

    勝っているのに苦しい日々。

    勝てないけれど充実した日々。

    この10年で、あらゆることを経験してきた篠山に怖いものはない。

    ベンチでもコートでも、試合でも練習でも、いつでもみんなで戦う。

    どんなに苦しい状況でもお互いを鼓舞し、思いやりあいながら勝利を目指す。

    そして再びファイナルの舞台に戻り、唯一経験したことのないBリーグ制覇を今度こそつかみとる。

    変わりゆくもの。変わらないもの。

    相反するベクトルを尊重し、共存させ、融合させることでこのクラブは一歩ずつ前へ進んできた。

    輝く、明るく、喜びにあふれた新しい10年へと続く道は、すでに足元にある。

    篠山はその感覚を確かめるように大きく足を踏み鳴らし、次の試合開始のブザーを待ち構える。

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ANOTHER STORY わたしにとっての

川崎ブレイブサンダース

  • Story #01

    ブレイブサンダースと共に
    変化を恐れず楽しんでいきたい

    駒田卓也さん / 株式会社ミツトヨ

    イタリアの支社に勤務していた2020年、ミツトヨが川崎ブレイブサンダースのグローバルトップパートナーになったことを知った時のことは、今でも鮮明に覚えています。弊社がスポーツに関わるのはおそらく1943年の創業以来初めて。中学3年間はバスケ部に所属していましたし、会社が変わり始めたことを感じ、一社員として本当に嬉しかったですね。初めてとどろきアリーナで試合を観戦したのは2021年3月の秋田ノーザンハピネッツ戦。妻も2人の子どもも、たった一試合でチームのファンになり、子どもたちは観戦をきっかけにバスケットボールを始めました。

    2年半ほど前にホームページやSNSを運用する部署に異動し、6人のメンバーと共にブレイブサンダースさんとの窓口を担当することになりました。お恥ずかしながら弊社のブレイブサンダース応援アカウントも私がメインで更新しておりまして、バスケットLIVEで全部の試合を見て、試合の感想などを投稿させていただきました。

    もちろん勝ち負けどっちが良いと言われたら勝ちに決まってるので、この2シーズンは悔しさが多分にありました。ただ、黒星は多くても、ブレイブサンダースの走って動き回るバスケットのスタイルが好きなことは変わりませんでした。それに、例えば我が子のテストの点数がすごく悪かったとしても嫌いになることはないじゃないですか。おこがましいですが、そういった親のような感情で応援しているところもあるので、負け試合であっても「俺が落ち込んだらダメだ!」という気持ちで、前向きな内容を投稿するようにしています。

    「サンダース愛」は社内全体に浸透しています。社員食堂では試合日になるとサンダースの勝利を願ってカツカレーが登場し、自発的に順位表や試合スケジュールを掲示している部署もあります。細々と活動していた弊社バスケ部もサンダースのパートナーになったことをきっかけに部員が増え、私も楽しくプレーしています。活動日が水曜の夜なので、サンダースの水曜ゲームは自分たちの活動が終わった後、ヘトヘトの状態で観戦しています(笑)。

    弊社は扱っている商品の特性上、BtoBの閉じられた世界におりましたが、冠試合などのサンダースさんとの取り組みを通して地域の方やファンの方々との接点が生まれ、社員たちにも「知っていただいている」「見られている」という意識が根付いてきました。変化を恐れることなく前に進んでいくサンダースさんとともに、弊社も変化を楽しみながらさらに成長していきたいと思っています。

  • Story #02

    天井が焦げないか心配だった
    花火や火柱の演出

    吉田弘司さん / 東急ドレッセとどろきアリーナ

    アリーナの責任者として、アリーナのカギを開けるところから締めるところまでブレイブサンダースさんのホームゲームに携わっています。館内の設備の電源を入れ、ゴールや得点板などの備品を設置し、興行中にトラブルがないよう待機し、撤去作業を見届けて入り口のカギを締めるところまでが仕事です。

    現職についたのは2011年ですから、チーム名が東芝ブレイブサンダースだったころです。ニック・ファジーカス氏がいてとにかく強かったけれど、お客さんは今ほどは入っていなかった。Bリーグになる前の年のNBLのプレーオフのときに初めて、当時の最大収容人数だった4000人が入った記憶があります。

    プロ化してから一番の変化は、やはりお客さんの入りです。NBL時代は対戦相手によってかなり変動がありましたが、相手がどこであろうと多くの観客が入るようになりましたし、最近は4000人を超えるのが当たり前になりました。試合の演出も、東芝時代は音響さんが入るくらいだったのが、今は照明や特効(特殊効果)が入って華やかになりました。DeNAさんが入った初年度、火柱や花火が上がるのを見て「天井が焦げないだろうか」とドキドキしたのも今ではいい思い出です(笑)。

    ここ2シーズンは悔しい試合が多いですけど、勝っていた時期はもちろん勝てなかった時期も知っているので、あまり落ち込んだりはしません。今GMをやっている北さんがヘッドコーチに就任した初年度は8勝しかできませんでしたからね。ただ、負け試合の後の撤去作業は設営担当のスタッフたちになんとなく元気がないようにも感じるので、「さあ、てっぺんを超えましたよ! 頑張りましょう!」と励ましたりもしています。ぜひまた強さを取り戻して、満員のとどろきアリーナでチャンピオンシップを戦ってくれることを願っています!

  • Story #03

    長い歴史がゆえの喜びと苦しみ
    チームの一体感を
    これからも大切にして

    知念秀俊さん / 三鈴運送有限会社

    東芝ブレイブサンダース時代から足掛け30年以上、試合で使用する設備や機材の保管・運搬を行っています。東芝時代には独身寮の清掃もしていました。ほとんどの選手が散らかり放題の部屋で過ごしていた中、北さんの部屋だけはいつもきれいに整理整頓されていたことを今でもよく覚えています。

    Bリーグ以前のリーグは、ホーム&アウェー形式ではなく毎週末日本各地の会場で試合をする形式で、私は応援団が使うスピーカーやシンセサイザー、観客に配るチアスティックなどを2トントラックに積み込み、北海道から九州まで走り回りながら試合を観戦しました。関東近郊でやる試合は東芝の社員さんが多かったですけど、自分の会社のチームのことですから応援に力が入っていましたね。今では考えられないような野次もよく飛んでいました(笑)。

    Bリーグが始まってからはホームゲームのみの担当になりましたが、受付などに使う机やテント、ひな壇、養生シートなど、体育館内に置いておけない機材をホームゲームのたびに運搬しなければならなくなったので、使用するトラックが3台に増え、DeNA体制になった今は9台になりました。アリーナでの演出も派手になって「バスケもここまで来たんだな」と感慨深かったですね。

    弊社の本業はイベント会社なので、土日はかきいれ時。設営が終わったら帰り、撤去の時間にあわせてまた来るというスタイルになり、現地で試合を観戦することはなくなりましたが、もちろん結果はチェックしていますし、撤去を待つトラックの中でバスケットLIVEを観戦しています。

    近頃は苦しい戦いが続いていますが、チームの歴史が長ければ長いだけ必ずそういう時があるものだと思います。北さんがヘッドコーチになった初年度は開幕からずっと負け続けて、ようやく1勝したときはチームのスタッフさんが泣いていましたから。

    プロになり、演出が華やかになり、お客さんもたくさん入るようになりましたが、私の役割はずっと変わることなく安全第一で次の試合への準備をすることです。このクラブならではの、スタッフを含めたチーム全体の一体感……みなが一致団結して目標に向かう姿がこれからも変わらず続いていくことを願っています。

  • Story #04

    どんな時も最後まで
    応援したいと思えるような
    チームであってほしい

    吉満謙一さん / サンダースファミリー

    1980年代に東芝に入社して以来、ずっとブレイブサンダースを応援しています。永久欠番にもなったフレッディ・カウワンは同じ部署の同期で、北さんとは会社のデスクが前後だったこともあります(笑)。子育てや親の介護でしばらく応援から足が遠のいた時期もありましたが、辻直人選手(現群馬クレインサンダーズ)の加入がきっかけで家族全員で応援するようになり、妻・娘と3人でアウェーゲームにも行くようになりました。

    Bリーグが誕生するというニュースが出ていた頃、社内ではバスケ部はこのままなくなるんじゃないかという噂もありました。かつてサッカー部もJリーグに行かない選択をしてやめてしまいましたから。ファンから「チームを存続してほしい」というメッセージを集めて当時のチームの部長さんにお渡ししたりもしたので、無事Bリーグに参入できた時はほっとしましたね。

    DeNAさんの話が出た時も不安でした。チーム名からチームカラーから、何から何まで全部変わってしまうんじゃないかと思っていましたから。元沢さんが伝統を引き継ぐと約束してくれ、実際にそれを果たしてくれたときは本当にうれしかったです。

    東芝時代からは想像できないくらい観客が増え、演出も華やかになり、アウェーにも本当にたくさんのファミリーが駆けつけるようになりました。新卒で入った選手がそれなりに長くプレーするのが当たり前だった当時と比べ、選手の入れ替わりが激しくなったことにはさみしさも感じますし、B.PREMIERがスタートする来季以降はそれがいっそう激しくなるのかもしれません。それでも”川崎らしさ”…夢と感動を与えてくれる、どんな時も最後まで応援したいと思えるようなチームであり続けてほしいです。

    プロ化したことで
    「川崎市に住んでいる」
    ということを実感できた

    吉満史代さん / サンダースファミリー

    Bリーグ初年度のファイナルは、今でも家族や応援仲間と「これ、勝つんじゃない?」なんて言いながら時々見返すんです(笑)。試合当日は「また次頑張って優勝すればいいよね」と思っていましたが、あれから10年経っても一度もファイナルの舞台に立てていないんですから、優勝するって本当に難しいことなんだなと思い知らされます。

    あのファイナルの後「ファンが少なくて負けた」という声をたくさん見て本当に悲しかったこともあって、自分たちに出来る限りの”布教活動”をしようと心がけてきました。駅までビラをもらいに行ったり、遠くでもじもじしている子に「行ってごらん」って声をかけたり、イベントに参加したり、大事な試合に向けて寄せ書きを集めたり。主人共々、外出するときには必ずチームのグッズ、赤いアクセサリーや洋服を身につけて、チームをアピールしています。

    会場ではホーム・アウェーにかかわらず、ブレイブサンダースを応援するたくさんのお友だちができました。まだ小さくて、おやつやグッズをあげていた子がいつの間にか高校生になってウインターカップに出たり、仲良くなった男性の息子さんが「いつか川崎でプレーしたい」と話していると聞いたり。長く応援しているとそういう楽しみも生まれました。

    私たちは若い頃からずっと川崎に住んでいますが、東芝ブレイブサンダースが川崎ブレイブサンダースに変わったことをきっかけに、川崎への帰属意識といいますか、「川崎は自分が住んでいる街なんだ」という意識が芽生えました。もちろん川崎以外にお住まいの……新幹線に乗ってアリーナに来られるようなファンの方も知っていますが、やっぱり地元の人たちには応援されるチームであってほしい。たくさんの方に「川崎と言えばブレイブサンダースだよね」と言ってもらえるようなクラブであってほしいと思います。

HISTORY
  • Season 2016-17

    最後発の参入から勝率1位へ。
    全員でプロになろうと足掻いた原点

    リーグ参入表明は全クラブ中最後、選手もチラシ配りに奔走し全員でプロの形を模索した。勝率1位で中地区を制し、チャンピオンシップ決勝へ。黄色く染まる景色に現在地を痛感し、あと一歩の差に涙した。確かな手応えと悔しさを刻んだ、すべての物語の幕開け。

  • Season 2017-18

    「東芝」としての集大成。
    ニック・ファジーカスの帰化と
    運営承継

    12月にDeNAへの運営承継が発表され、東芝として戦う最終年に。ニック・ファジーカスが日本国籍を取得し、チームは激戦の東地区で踏ん張りチャンピオンシップ進出を果たす。事業面での大きな転換期を迎え、伝統を次代へ繋ぐための覚悟を決めた一年。

  • Season 2018-19

    DeNA体制が本格始動。
    成長の痛みを伴いながら進めた大改革

    承継に伴いマスコットがロウルへ交代、応援や演出が刷新される中、変化への反発や試行錯誤という「成長の痛み」を伴いながらも、より良い空間を作るため改革を断行した。未来のために変化を恐れなかった変革の年。

  • Season 2019-20

    佐藤賢次体制の船出と快進撃。
    最強を証明する場を失った「未完の年」

    『伝統と変革』佐藤賢次新体制で首位を独走。1月の天皇杯は満身創痍で準優勝となったが、誰もがリーグ制覇を予感した。しかし未知のウイルスにより無観客試合を経て中断。最強と謳われた覇道が途絶えた悔しさは、今も多くの人の記憶に「もしも」と共に刻まれている。

  • Season 2020-21

    悲願の天皇杯優勝。
    異例の厳戒態勢下で王者の誇りを
    取り戻した年

    マスク姿のベンチに静寂のアリーナ。異様な雰囲気の中で開幕したが、3月の天皇杯で一年前の雪辱を果たし優勝。暗いニュースが続く中、高校3年生の米須玲音の加入は希望の光となった。制限だらけの日常でも、タイトル獲得でファミリーの心に再び火を灯した。

  • Season 2021-22

    不動のエースの移籍を経て連覇。
    苦戦の先に掴んだ、100%の熱狂

    辻直人の移籍という衝撃から始まった。リーグ戦では苦戦が続き、指揮官も「優勝できる実力はあった」と悔やむ戦いが続いたが、3月に天皇杯連覇を達成。ついに収容率100%へ解禁し、とどろきに熱狂が回帰。結束の先に強豪の意地を見せた。

  • Season 2022-23

    待望の声出し応援解禁。
    当たり前の日常と、
    試合がある幸せの再発見

    空白を経て声出し応援が解禁。とどろきに熱気が戻り、過去最高動員を記録した。中地区優勝を飾り、新アリーナ構想も発表。コロナ禍で失ったものの大きさと、共に戦うファミリーの存在の有り難みを再確認。

  • Season 2023-24

    「NICK THE LAST」。
    チームの大黒柱に捧げた魂の1年

    ニック・ファジーカスの引退発表に激震が走った。史上初の5連敗やチャンピオンシップ進出を初めて逃すなど歯車が合わない苦境に直面したが、全員がレジェンドのために戦い抜いた。背番号22は永久欠番に。惜別と感謝が渦巻く中、一つの巨大な時代が幕を閉じた。

  • Season 2024-25

    川崎が踏み出した苦い変革。
    変化を恐れず挑み、
    現在地を痛感した年

    ネノ・ギンズブルグ体制で変革に挑む。市制100周年の節目、不変の覚悟として「BE BRAVE」を掲げたが、二季連続でチャンピオンシップを逃す大幅な負け越しに。そう簡単に変われない現実を直視し、初心に戻り足掻き続けた、変革への産みの苦しみ。

  • Season 2025-26

    Bリーグ10年の総決算。
    川崎の誇りを胸に、新時代へ繋ぐ

    シーズン途中に勝久ジェフリーが指揮を継承し、若手選手の台頭と共に最後まで『勝利』と『BE BRAVE』を追い求めた。最終戦で見せた姿はまさに川崎らしさの結集。多くの別れを惜しみつつ、また新しい川崎が生まれるための助走が始まる。物語は新たなステージへ。

  • Season 2026-27
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