変わりゆくもの、変わらないもの。
開幕から駆け抜けた栄光の日々、
幾度もチャンピオンシップの舞台に立ち続けた誇り。
東芝からDeNAへ、バトンは渡り、
クラブはさまざまな面で変化を続けた。
やがてチームを支えた顔ぶれが去り、苦難の季節も訪れた。
それでも川崎ブレイブサンダースは歩みを止めなかった。
すべての勝利と敗北、挑戦と変革が積み重なって、
川崎ブレイブサンダースの10年はできている。
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「プロバスケって何ですか?」
<いったい何から始めればいいんだ……>
2016年4月、荒木雅己は頭を抱えていた。
実業団チームとプロチームが混在していたNBLと、プロチームのみで構成されたbjリーグ。「2つのリーグを統一して完全プロリーグを作る」という構想が発表された当初、前身の「東芝ブレイブサンダース神奈川」を運営する東芝は難色を示していたが、最終的にプロ化に舵を切った。
「社員の士気高揚」を唯一無二のアイデンティティとし、高潔なアマチュアリズムを貫いてきた東芝の社員たちに、「スポーツで金を稼ぐ」という考えはない。
同社野球部でプレーし、バスケ部の責任者を務め、新たに誕生したプロバスケットボールクラブ「川崎ブレイブサンダース」の社長に就任した荒木はもちろん、東芝から連れてきた数名の部下たちも、プロクラブの作り方など皆目検討もつかなかった。
荒木はすでに一定の成果を挙げているクラブの経営者のもとを訪れ、教えを乞うことから始めた。
ある経営者に「プロバスケって何ですか?」と尋ねたら、彼はこう言った。
「まずは体育館を非日常にすることですよ」
「……どういうことですか?」
「体育館の窓を暗幕か何かで全部ふさぐんです。外の風景が見えてしまったら日常に戻ってしまいますから」
予想もしない答えに驚いた荒木は、<これは相当考え方を変えないとまずいぞ>と気を引き締めた。
ある経営者にはファンクラブのことを聞いた。彼が見せてくれたファンクラブの会員費を見て、荒木は「こんなにいただいているんですか!」と目を丸くした。
東芝時代の後援会は年会費が3000円で、野球・ラグビー・バスケが何試合でも無料入場出来る上に応援グッズもついていた。
「ファンクラブで利益を出していいんですか?」
荒木がそう問うと、相手は<この人は何を言っているんだ>といわんばかりの顔をした後に、「もちろんですよ」と言った。
「東芝さんの後援会は、社員への福利厚生ですよね。でもファンクラブはプロクラブにとって重要な収益源ですし、お金をいただくからには料金に見合うだけのサービスを提供しなければいけないんです」
スポンサー料の適正価格がわからない。
平均入場者約1000人のうち半分が無料客という状態から、有料客だけでアリーナを満員にする方法がわからない。
セキュリティの問題でSNSのアカウントが作れない。
外部からの人材を潤沢に入れられない。
ないない尽くしの中、荒木たちフロントスタッフは持ちうる知恵と体力を振り絞り、道なき道を切り開くしかなかった。”前年度チャンピオン”の現在地
大苦戦のフロントとは対照的に、選手たちは新リーグの開幕をおおらかに待っていた。「バスケをプレーする」という生活の主軸は変わらないどころか、社員時代の日常だった午前中の会社勤務がなくなったからだ。
扱いがプロに切り替わった初日の朝、練習場には思う存分シューティングに打ち込もうとする選手たちが集結し、ゴールが足りなかった。
「国内最強助っ人」と恐れられたニック・ファジーカスを筆頭に、NBL最後の王者に輝いたメンバーがそのまま残り、成績にも自信があった。「初年度の注目チーム」としてテレビや新聞、雑誌の取材が相次ぎ、練習を終えた選手たちは、マネージャーが買い揃えた各種スタイリング剤で髪型を整えてからこれに応じた。
加入6シーズン目を迎えた篠山竜青も、一学年下の辻直人との「2大看板」でたくさんの取材を受けていた。小さい頃から大の目立ちたがり屋。プロになり、めいっぱい自分たちをアピール出来ることが嬉しくて仕方がなかった。
開幕を約2か月後に控えた夏のある日、篠山は辻と2人であるイベントに出演することになった。
会場はJR川崎駅直結のショッピングモール「ラゾーナ川崎プラザ」の広場。日時を問わず大勢の人でにぎわっている場所だ。
<「Bリーグ」の名前が少しずつメディアに出るようになってきたし、俺たちは『NBL最後の王者』の顔。見に来てくれる人もけっこういるっしょ>
意気揚々とステージに上がった篠山は、愕然とした。
広場にはたくさん人がいる。しかし、自分たちの前には数えられるほどの人しかいない。
自慢のトークで場を盛り上げようとしてみても、観覧者はまったく増えない。ステージ近くにいる人たちは次の出番を控えるキッズダンスチームの保護者たちで、ステージ裏の我が子のことしか見ていない。
「川崎市のみなさんに愛されるチームになっていけるよう、コートの中でも外でも積極的に活動していきたいと思います。応援よろしくお願いします!」
篠山はこのような言葉で地獄のような15分間を締めくくり、虚空に手を振りながらステージを降りた。
開幕が近づくと、とどろきアリーナ最寄り駅の武蔵小杉駅前で、ヘッドコーチの北卓也、コーチ陣、選手が総出でチラシ配りを行った。
帰路を急ぐモノトーンの雑踏の中、長身かつガタイのいい集団は否が応でも目立つ。特に、ファジーカスの207cm114kgの巨体を認めた人は、もれなく目を丸くする。ただ、好意的な目を向けてくれる人も、チラシを受け取ってくれる人も、ほとんどいなかった。
<俺たちって、まだまだなんだな……>
選手たちは、自分たちの現在地を正確に理解した。とどろきアリーナの変化
9月30日。チームは記念すべきプロ初年度のホーム開幕戦を迎えた。
前の週に開催された第1節、アウェー三遠ネオフェニックス戦はまさかの2連敗。気を引き締め直して迎えた横浜ビー・コルセアーズ戦で、チームはしっかり連勝を飾った。フロントは必死に集客を行い、前日の夜時から会場設営を行い、1000人入れば御の字だったアリーナに連日3000人を超える観客を迎え入れた。
ビラ配りは開幕後も定期的に行われ、選手たちもすっかりこれに慣れてきた。目の下に隈を作りながら奮闘しているフロントスタッフを助けたいと思ったし、何より大勢の観客の前で戦う喜びを作り出すためなら、ビラ配りくらい何ともなかった。
「お疲れさまですー。川崎ブレイブサンダースです」
「今週の土日、とどろきアリーナで試合があります。ぜひ見に来てください!」
通行人たちに駆け寄り、ぐいと前に入り、明るい声をかけながらチラシを差し出した。
荒木はホームゲームのたびに開場待機列に並ぶファンのもとに足を運び、自分たちでは気づきにくいニーズや課題を聞き取った。フロントスタッフは週に一度、2時間の全体ミーティングを行ってそれぞれの知見を共有し合い、選手たちにチケット売上の状況や周辺地域の認知度を伝えた。全員が必死に出来ることを積み重ねた。
チームは前評判どおりに勝ち星を伸ばし、観客も少しずつ増えていった。パイプ椅子が数列並ぶだけだったコートサイドにはひな壇席が作られるようになり、ビラ配りで「応援しています」「頑張ってください」と声をかけてくれる人も出てきた。
49勝11敗、リーグ唯一の勝率8割超えを達成して中地区優勝を果たし、チャンピオンシップ初戦ではサンロッカーズ渋谷を撃破。チャンピオンシップセミファイナルのアルバルク東京戦を制し、ファイナル進出を決めると、アリーナはかつてないほどの大歓声で揺れた。
<とどろきにひな壇ができるなんて、加入した時は想像もしなかった。プロになって本当に変わったんだ>
篠山は自らを取り巻く環境の変化を幸せに感じていたが、まだ満たされはしなかった。
ファイナルの舞台となる代々木第一体育館は1万人収容の巨大なアリーナ。試合はNHKで生中継される。ここで勝って、B.LEAGUE初代王者になって、初めてプロクラブとしての新しい歴史が始まるのだと思った。
<まずは優勝しよう。優勝して、知名度を上げて、みんなでアイディアを出し合いながら応援してくれる人をもっと増やそう>フロントの誤算と一本のパスミス
セミファイナルに勝利した後、荒木はスタッフにファイナルのチケット購入を進めるよう指示した。しばらくすると、スタッフが血相を変えて荒木のもとに来た。
「言われていたエリアの席、ほとんど売り切れてます!」
スタッフの報告に、荒木は耳を疑った。
「そんなわけないだろう。栃木だって三河相手に第3戦までもつれてたんだから」
「……もしかしたら、セミファイナルの結果がわかる前から買ってたんじゃないですか?」
<そうか、そういうやり方もできたのか……>
新米プロクラブは、試合一週間の時点で相手に一歩先を取られていた。
ファイナル当日、会場の代々木第一体育館で荒木はさらに打ちのめされた。
1万人を超える観客席の大半が、栃木のチームカラーの黄色で埋め尽くされていた。栃木はファイナル仕様のTシャツを安価で販売し、中立の観客を自チームの応援に引き入れようとしていたのだ。
選手やチームスタッフも、中立開催とは思えない様相の観客席を見て、驚いた。ただ、彼らはやるべきことに集中していた。赤をまとったファンの姿も、その声援も、確かに受け止めていた。そして何より自分たちの力に自信を持っていた。
フルゲーム2試合と10分間の第3戦で構成されたクォーターファイナル、セミファイナルと違い、ファイナルは負けたらおしまいの一発勝負。両者は一歩も譲らないまま試合終盤にまでもつれこんだ。しかしディフェンスのプレッシャーを高めた栃木が、わずかに先に出た。
気づけば、試合開始から流れていたBGMが止まり、声援だけが会場を包んでいた。
第4クォーター残り1分7秒、79-82、栃木リード。北がタイムアウトをとった。出された指示は篠山とファジーカスのピック&ロール。そこからのプレーはゲームメイクを担う篠山に委ねられた。
サイドラインの辻がファジーカスにボールを出す。エンドライン付近から駆け上がった篠山がそのボールを受け取る。篠山をマークする遠藤祐亮がファジーカスのスクリーンに引っかかり、篠山の前が空いた。
やることはタイムアウト明けから決めていた。直前のオフェンスで失敗したライアン・スパングラーのアリウーププレーだ。
<ミスしたままで終わってたまるか。次こそ成功させて、絶対にもう一波作る>
一度ドリブルを突き、左手で高い軌道のパスを出した。
ボールはリングの上を通過し、スパングラーをも通り越し、そのままエンドラインの外に落ちた。
絶好のチャンスは、ターンオーバーという最悪の形で終わった。
試合終了のブザーが鳴った。79-85。Bリーグ初代王者に輝いたのは栃木ブレックスだった。
篠山は大きく肩を落とした後、栃木の選手たちに握手を求めに行った。しかし、途中で踵を返した。
<そんなんじゃねえよな……>
ドラマの主役は、もみくちゃになりながら優勝を喜び合う栃木。端役になった自分がそこに加わることなど、この場にいる誰もが求めていない。敗戦から手に入れたもの
表彰式を終え、ロッカールームに戻った。みな沈んだ顔をし、口数は少なかった。
おもむろに北が話しだした。
「負けたのはヘッドコーチの俺の責任だ。みんなはよく頑張ってくれた。ありがとう。プロになったことで、これからはどんどん選手が入れ替わっていく。このメンバーでやるのもたぶん今回がラストだ」
<そうだよな。プロってそういうことなんだよな………>
北の言葉に、篠山の涙腺が少しゆるんだ。
自分たちと栃木を分けたのは、一つひとつのプレーの精度の差だった。もっと端的に言えばポイントガードである自分と田臥の差だ。
プロとして何度も厳しい戦いに身を投じてきた田臥は、この大一番でも冷静にプレーし、流れが変わるここぞというタイミングで自らの力を発揮した。残り16.0秒で6点リード、ほぼ勝敗が決まっていた場面でもルーズボールを追いかけて観客席に飛び込んだ。
かたや自分はどうだ。
正しい状況判断が出来ず、自分のミスを挽回するための独りよがりなプレーで決定的なチャンスを逃し、その後は最後までそれを引きずりながらプレーしていた。
<この1年、必死に成長してきたつもりだったけど、最後の最後に田臥さんに『まだまだ甘い』って言われたみたいなゲームだった>
篠山はそう悔やみつつ、<でも>と、試合前のコートインセレモニーを思い出す。
1万人を超える大観衆が見つめる中、コート上の自分たちだけがスポットライトに照らされていた。
小さいころから、夢はバスケットボールで飯を食べることだった。Bリーグが誕生し、所属チームがプロになり、たどりついたのは子どもの頃に想像していた以上の場所だった。
ぞわぞわと沸き立つ鳥肌の感覚と、泣きそうになるほど高ぶった感情と、目の前に広がっていた景色。
<どれも一生忘れないでいよう>
篠山はそう誓った。
ビールかけに備えて持ってきたシャンプーセットも、優勝Tシャツも、ネットカット用のハサミも、帰りのバスで飲む予定だったビールも、全部不要になった。そのかわり、川崎ブレイブサンダースに関わるすべての人々は、この試合でたくさんのことを知った。
これからプロとして突き詰めなければいけないことが山ほどあるということ。
そして、日本中が注目する最高峰での全力勝負が、信じられないほど楽しく、幸せなものだということを。
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2026.6.6 12:00公開
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2026.6.7 12:00公開
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2026.6.8 12:00公開
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2026.6.9 12:00公開
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最後発の参入から勝率1位へ。
全員でプロになろうと足掻いた原点リーグ参入表明は全クラブ中最後、選手もチラシ配りに奔走し全員でプロの形を模索した。勝率1位で中地区を制し、チャンピオンシップ決勝へ。黄色く染まる景色に現在地を痛感し、あと一歩の差に涙した。確かな手応えと悔しさを刻んだ、すべての物語の幕開け。
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「東芝」としての集大成。
ニック・ファジーカスの帰化と
運営承継12月にDeNAへの運営承継が発表され、東芝として戦う最終年に。ニック・ファジーカスが日本国籍を取得し、チームは激戦の東地区で踏ん張りチャンピオンシップ進出を果たす。事業面での大きな転換期を迎え、伝統を次代へ繋ぐための覚悟を決めた一年。
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DeNA体制が本格始動。
成長の痛みを伴いながら進めた大改革承継に伴いマスコットがロウルへ交代、応援や演出が刷新される中、変化への反発や試行錯誤という「成長の痛み」を伴いながらも、より良い空間を作るため改革を断行した。未来のために変化を恐れなかった変革の年。
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佐藤賢次体制の船出と快進撃。
最強を証明する場を失った「未完の年」『伝統と変革』佐藤賢次新体制で首位を独走。1月の天皇杯は満身創痍で準優勝となったが、誰もがリーグ制覇を予感した。しかし未知のウイルスにより無観客試合を経て中断。最強と謳われた覇道が途絶えた悔しさは、今も多くの人の記憶に「もしも」と共に刻まれている。
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悲願の天皇杯優勝。
異例の厳戒態勢下で王者の誇りを
取り戻した年マスク姿のベンチに静寂のアリーナ。異様な雰囲気の中で開幕したが、3月の天皇杯で一年前の雪辱を果たし優勝。暗いニュースが続く中、高校3年生の米須玲音の加入は希望の光となった。制限だらけの日常でも、タイトル獲得でファミリーの心に再び火を灯した。
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不動のエースの移籍を経て連覇。
苦戦の先に掴んだ、100%の熱狂辻直人の移籍という衝撃から始まった。リーグ戦では苦戦が続き、指揮官も「優勝できる実力はあった」と悔やむ戦いが続いたが、3月に天皇杯連覇を達成。ついに収容率100%へ解禁し、とどろきに熱狂が回帰。結束の先に強豪の意地を見せた。
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待望の声出し応援解禁。
当たり前の日常と、
試合がある幸せの再発見空白を経て声出し応援が解禁。とどろきに熱気が戻り、過去最高動員を記録した。中地区優勝を飾り、新アリーナ構想も発表。コロナ禍で失ったものの大きさと、共に戦うファミリーの存在の有り難みを再確認。
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「NICK THE LAST」。
チームの大黒柱に捧げた魂の1年ニック・ファジーカスの引退発表に激震が走った。史上初の5連敗やチャンピオンシップ進出を初めて逃すなど歯車が合わない苦境に直面したが、全員がレジェンドのために戦い抜いた。背番号22は永久欠番に。惜別と感謝が渦巻く中、一つの巨大な時代が幕を閉じた。
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川崎が踏み出した苦い変革。
変化を恐れず挑み、
現在地を痛感した年ネノ・ギンズブルグ体制で変革に挑む。市制100周年の節目、不変の覚悟として「BE BRAVE」を掲げたが、二季連続でチャンピオンシップを逃す大幅な負け越しに。そう簡単に変われない現実を直視し、初心に戻り足掻き続けた、変革への産みの苦しみ。
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Bリーグ10年の総決算。
川崎の誇りを胸に、新時代へ繋ぐシーズン途中に勝久ジェフリーが指揮を継承し、若手選手の台頭と共に最後まで『勝利』と『BE BRAVE』を追い求めた。最終戦で見せた姿はまさに川崎らしさの結集。多くの別れを惜しみつつ、また新しい川崎が生まれるための助走が始まる。物語は新たなステージへ。
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荒木 雅己
TBLSサービス株式会社 元代表取締役社長
(元川崎ブレイブサンダース運営会社)
駒田 卓也
株式会社ミツトヨ
知念 秀俊
三鈴運送有限会社
吉田 弘司
東急ドレッセとどろきアリーナ
林 宣彰
東急ドレッセとどろきアリーナ
吉満 謙一
サンダースファミリー
吉満 史代
サンダースファミリー
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執筆:青木 美帆
映像:松田 翼 株式会社ALTR

















































